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丁寧に生きる

丁寧に生きる

「慌ただしい」の「慌」の字。心が荒れる。

「忙しい」の「忙」の字。心が亡くなる。

漢字を考えた人は誰だか知らないけど、いい得て妙ですね。

では、それぞれの反対語は?
ネットで調べてみると…
「慌ただしい」⇔「のどか」これは分かる。
でも、

「忙しい」⇔「暇」って出てくるけど、私としてはどうもしっくりこないのです。
暇は物理的な部分、でも「忙しい」って物理的な意味である他、精神面の事も指すからです。
小学生の頃、「戦争」の反対を「平和」って習った時に感じた違和感に似ています。
子どもごころに「戦争がなければ平和なのかな?」単純に思いました。飢餓のある状態や人の心がすさんでいる社会でも平和なのかな?と

それはさておき、私も「慌ただしさ」や「忙しさ」にあう事が多いのですが、そこで配慮が欠けてしまったり、気付きが出来なかったりしてしまい、反省します。
もしかしたら私が気付いていないところで不快な思いをさせている人がいるのかもしれない。
私の場合、忙しい事≒余裕が無い。
余裕が無い≒人への共感が出来ない。
これは福祉の仕事であればかなりイタイ事です。

以前、お客様とお話をした際に座布団に座って頂いたのですが、お話が終わり席を立たれた時にその方は自分の座っていた座布団の位置を整えられていました。
ちょっと衝撃的でした。
作法には無頓着であり、教養の無い私は何かの作法なのかもわかりませんでしたが、単純にその所作に美しさを感じました。
また、これまで読んだ本の中に「丁寧に生きる」という言葉が書かれていたのが思い出されました。
その所作と「丁寧に生きる」が私の中で繋がった瞬間でした。

その瞬間、瞬間を丁寧に生きる事はその時に何か得をする訳では無いのかもしれません。でも長い時間軸で観た場合、それを普段からしている人としない人では大きく違うのだと思います。

それは何かというと今の私では分かりません。無責任ですが…
他者に対する言葉では表せられない説得力なのかもしれませんし、その人の持つ魅力になるのかもしれません。

ここあーるのスタッフで児童との会話に一つひとつ応える方がいます。
仕事なので当たり前な事なのですが、ただ応えるだけでは無くそのスタッフ自身が本当に楽しそうにしているのです。
それだけ児童からは人気があります。当然ですね。思いをこんなに共感してくれるのですから。
これも「丁寧に生きる」事の一つかなと思います。

丁寧に生きる事を意識すると物理的な忙しさがあっても精神面での忙しさには襲われないような気がします。
じゃあ、忙しさの反対語は「丁寧に生きる」なのかな…
いつか答えを見つけようと思います。